

深夜の1000キロカロリーは男のロマン

集団検診のあとも、ボクの食生活は相変わらずだった。
検診から1ヶ月。
僕は隔日勤務に変わった。
隔日勤務がわからない人は、こちらの本を参考にしてもらうと理解しやすいと思う。
隔日勤務が終わるのは、翌日の午前2時以降
(ボクが在籍していた会社の場合)
深夜に営業しているのは、牛丼屋くらいしかない
言い換えれば、健康にいい食事にはありつけない。
もちろん、このまま食べずに寝るのが健康にいい。
そんなことは、もちろんわかっている。
でも、深夜2時から台所に立つ気力なんてない。
そんな想いから、勤務明けの牛丼がすっかりルーティンになっていた。
そんなある日のこと。
休憩のために一度帰宅すると、一枚のハガキが届いていた。
差出人はVIPルームで出会った、あの人だった。
タクドラは1日8回コンビニに行く

「その後の食生活はいかがですか?」
ハガキの裏には、こう書かれていた。
ボクが栄養指導のハガキを受け取るのは、これが初めてではない。
水産加工業で働いていた頃も、太りすぎが原因で栄養指導を受けたことがあった。
しかし栄養指導なんて、人によっては“馬の耳に念仏”だ。
僕もそのひとりだった。
結局、無視した。
それは、こちらの本を読んでもらえばわかる。
「一番の上客は、タクシードライバーとトラック運転手ですよ」
コンビニのスタッフが言っていた。
その言葉に、ボクは思い当たる節がある。
事実、ボクは1日に8回もコンビニに寄っていた。
疲れたと思えば甘い缶コーヒー。
もう少し頑張ろうと思えばリポビタンD。
朝、元気が出ないときはレッドブル。
小腹が空いたら肉まんを食べて、もうひと頑張り。
手元には、砂糖たっぷりのエメラルドマウンテン。
そんな生活が体にいいわけがない。
わかっていても、どうにもならなかった。
これは、長距離ドライバーの話だけどタクドラにも通用するよね?
そして、そんな折。
ついに、集団検診の結果が届いた。
ロマンのツケは、大きな封筒で届いた
大きな白い封筒には、1ヶ月前に受けた集団検診の結果が入っていた。

どうせ「要再検」なんだから、結果を見なくてもわかる。
体重が100キロを超えた頃からの定番だ。
体脂肪30%超えたら、「要再検」の仲間入りだ。
だから、真面目に検査結果を見る気も起きなかった。
そんな矢先、実家から電話がかかってきた。
「検診の結果、見せなさい」
さすが親だ。
ボクの行動パターンを熟知している。
仕方なく結果を見せたら、鬼のように怒られた。
そこで、しぶしぶ精密検査に行くことにした。
とはいえ、どこの病院に行けばいいのかもわからない。
しかし、よく読むとかかりつけ医でも構わないらしい。
だから、勤務明けに歩いて行ける距離の内科へ向かった。
「別にどこも悪くないだろう。すぐ終わるはずだ。」
そう思っていた僕が、甘かった。
医者は開口一番、こう言った。
「これ、糖尿病ですね。」
どうやら、血糖値が既定値を大幅に上回っていたらしい。
確かに、甘い缶コーヒーは飲んでいた。
でも、お菓子は食べていなかった。
疲れていても、コンビニスイーツやケーキには手をつけなかった。
もちろん、まんじゅうや羊羹だって。
なのに、なんで糖尿病なんだ?
そう聞くと、医者は淡々と答えた。
「糖はね、ご飯からも摂れるんですよ。」
言われてみれば、牛丼だって砂糖を使う。
白ご飯にも糖分はある。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
これが、「余命5年」の始まりだった。
しかし、10年近く前から糖尿病の兆候は始まっていたのだと思う。
次回からは、その10年近く前のターニングポイントからお話しします。
まとめ:暴飲暴食・深夜飯の請求書
結果を見ないふりをしても、現実は待ってくれない。
あれは、ただの「検査結果」じゃなかった。
これまでの「生活への請求書」だったのかもしれない。
甘い缶コーヒーに深夜の牛丼。
タクドラ当時のボクにとってはささやかな自分へのご褒美だった。
けれど、積み重ねた「自分へのご褒美」は想像以上に重たかった。
しかし、あの時に「糖尿病です」と告げられなかったら?
ボクはいまでも、同じ生活を続けていたかもしれない。
あの白い封筒は、僕にとって“終わり”ではなかった。
そして、はじまりはもっと前からあったのだ。
ボクは余命5年と言われて、我に返った。
しかし、気がつかないと糖尿病は取り返しがつかないことになる。
次回からは、なぜ糖尿病になるまで放置したのか?
一回目の適応障害になる前から振り返ってみようと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。
この記事が、あなたの役に立ちますように。







