
ボクは何のために痩せたんだろう?

2017年、ボクの体重は80キロまで落ちた。
しかし翌年、あっけなく100キロに戻った。
新工場の完成が近づくにつれ、
仕事も忙しくなっていった。
水産加工業といっても、実態は肉体労働。
動いていれば自然と体重が落ちる。
そんな職場だった。
実際、新卒の社員は1年で10キロ痩せるのが定説だ。
けれど僕は、その定説に逆らった。
体重は、再び100キロに戻ったのだ。
理由は単純だった。
未来に、絶望したからだ。
80キロに落としても、会えるのは会社の人だけ。
仲間にも会えず、褒めてもらえるわけもない。
夜遊びに行けるのは平日だけ。
そんな状況で出会いがあるはずもない。
つまり、満たされるはずの承認欲求は、
どこまで行っても空っぽのままだった。
じゃあ、ボクは何のために痩せたんだろう。その問いだけが、頭の中でぐるぐると渦巻いていたんです。

リバウンドの正体はブラック時差出勤だった
工場が新築された2018年。
色々と環境が変わったことが、リバウンドの原因だったと思う。
2017年までは、まだ早番と遅番の二交代制で規則的な方だった。
1週間ごとにシフトが入れ替わるけれど、残業がなかったのが救いだった。
この時のことはコチラの記事に詳しく書いてあります。
未読のあなたは、コチラの記事を読んだら本編に戻ってください。
ところが、新工場が稼働してから状況は一変した。
交代制が廃止され、代わりに導入されたのが「時差出勤」だった。
- 勤務開始が6時、7時、8時と毎日バラバラ
- ノルマや生産量の都合で前日決まる
- 月曜は8時出勤でも、木曜には6時出勤が当たり前
- 週末には全員が6時出勤
- 定時で帰れる保証などなかった
中には「4時間残業で19時まで勤務」なんて日も普通にある。
それでも、日曜勤務のときは朝9時勤務。
だから「帰りにジムへ行けるかも」と淡い期待を抱いた。
けれど、13時間働いたあとでは、体も心ももう限界。
その足でジムに向かう気力なんて、あるはずがなかった。
当然、平日にジムへ行くことは完全に不可能になった。
それ以上にきつかったのが、「夜の消失」だった。
夜更かしが当たり前だったボクが、21時には布団に入る生活。
夜の買い物にも行けず、仲間に会う機会もなくなった。
年齢による衰えもあって、夜遊びも辛くなってきた。
しかも、週末の夜遊びは絶望的。
気づけば、外に出なくなっていた。
あの日も「19時に帰らせるから、明日は5時出勤」と言われた。
こうなると、夜はただ“寝るだけ”だ。
食事も急いで済ませなければならない。
足は自然と牛丼屋。
特盛では足りず、ご飯を追加するのが当たり前になった。
まるで、空いた心の穴を埋めるように。
そんな生活が続くうちに、 ぼくは「一人になりたい」と思うようになった。
人と会う時間がなくなったのに、 なぜか“孤独”だけは膨らんでいく。
休みの日くらい、 誰にも邪魔されずに心を落ち着けたい。
ぼくは、いつの間にかソロキャンプという世界に足を踏み入れた。
ゆるキャン△で影響受けてソロキャン
2018年のSNSの主流はFacebook。
X(旧Twitter)をやっている人はごくわずか。
仲間の投稿のほとんどは乾杯している写真ばかり。
その投稿を見るたびに、僕は疎外感を覚えた。
年齢の衰えと、ブラックなシフト勤務。
どう頑張っても、あの賑やかな世界には戻れなかった。
だから僕は、次なる趣味を模索した。
コロナ前の2018〜19年。
アニメ『ゆるキャン△』やヒロシのキャンプ動画がブームを巻き起こしていた。
僕も自然に、キャンプという世界に憧れを抱いた。
最初は仲間と始めたけど、みんな仕事が忙しい。
だから、二回目以降はいきなりソロキャンするようになった。
物欲の沼。買い物ラブが始まる
ところが、キャンプに行けば行くほど、物欲が止まらなくなる。
なぜなら、キャンプとは“外にもう一つの家を作るようなもの”だからだ。
足りないものが次々と出てくる。
センサー式のライトは一つあれば十分と思っていた。
しかし、ライトを何個も吊るしておしゃれに光らせている人たちがいる。
次は椅子が欲しい。テーブルが欲しい、寝袋が欲しい。
そして、ついには「車中泊ができる車が欲しい」と思うようになった。
気がつけば、カードの支払いは常に10万円を超えていた。
今思えば、この頃から無意識の買い物ラブ”が始まっていた。
もう、キャンプはただの趣味ではなかった。
ストレスでぽっかり空いた心の隙間を、何かで満たそうとしていたのだ。
それが、うつの始まりだった。
ソロキャンにハマった、もう一つの「怖い」理由
そして、僕をソロキャンプへ駆り立てていたもう一つの理由は“太陽”だった。
平日は朝は暗いうちに家を出て、夜も暗くなってから家に帰る。
一日に太陽を浴びる時間は、ゴミ捨てに出るわずか1分を2〜3回。
つまり、ボクは平日1日あたり3分しか太陽を見ていなかった。
だから、休日に山で日の光を浴びるのは、嬉しくてたまらなかった。
紅葉に染まる山を見て、無意識に涙がこぼれたこともある。
年を取ったせいだろうと、あの時は思っていた。
しかし、違った。
今思えば、心が太陽を求めていたのだ。
うつ病回復に涙を流すことは効果ありということを別記事に手まとめています。
コチラの記事を読んだら、本編にお戻りください。
静かな崩壊のはじまり
健康診断では、肝機能の低下と肥満で「要再検査」の文字が並びはじめた。
しかし、体調にこれといった自覚症状もない。
だから医者の言葉も、正直ピンとこなかった。
「だからぁ?」と笑って受け流していた。
けれど、今になって思う。
あの数値の警告は、体と心が、同時に壊れはじめた合図だったのだ。
ボクは、気づいていなかっただけだった。
まとめ:大丈夫は「心のSOS」
今振り返ると、あの頃の僕は、すでに壊れはじめていた。
それでも「会社を休もう」なんて、考えもしなかった。
なぜなら、自分が抜けたら会社に迷惑をかけると思っていたからだ。
でも今ならわかる。
あなたの代わりに仕事をしてくれる人は必ずいる。
けれど、あなたの代わりに生きてくれる人はいない。
今も、夜明け前に出勤して、暗くなってから帰る人がたくさんいる。
あの頃のボクと同じように。
健康診断の結果に「要再検査」と書かれていても、
速攻でゴミと一緒に捨ててしまう人もいる。
けれど、メタボリックシンドロームは、声を上げないまま静かに進んでいく病気だ。
それが「静かなる病気」と呼ばれる理由だ。
あなたは最近、太陽の下を歩いた?
「そういえば、しばらく太陽を見ていない」と思ったなら…。
それは、心と体が光を探しはじめたサインかもしれないよ。
その他にも、この様なサインがあります。
家族の様子がおかしかったら、参考にしてください。







